「一期一会」という言葉があります。しっかり覚えていませんが元々はたしか茶道の言葉だったはずです。
一生に一度だけの機会。そこから、そのことに専念しなさいという戒めの意味もありましたかね。
私のような漠然と暮らしている者はその教えを守れておりません。
一度、どこかで読んだブログだったことは覚えていますが、そのブログはどこであったことやら。全く覚えておりません。
そのブログ記事ではおおよそ「かつてオタクと呼ばれた人たち」について書かれていました。
具体的な内容等はうろ覚えですので、該当のブログの執筆者の意図とは違うやもしれません。私の色眼鏡と欠落する記憶と、それから私の思考とが混在した形となるでしょう。
ふと思い出したのでこの記事を書いた次第です。
そのかつてオタクだった人たちはなんらかを大層愛していました。人によってこれは違うでしょう。アニメかもしれません、ゲームかもしれません。鉄道、アイドル、骨董品、映画……色々な趣味があります。
かつて見たテレビ番組で、現役のバス運転手とバスのオタクがクイズにて最も長い停留所を答えるというシーンがありました。その際早く解答したのは運転手だったのですが、オタクの人はその解答を聞いた後に「█████(記憶にないので伏せます)という停留所も同じ文字数で最も長い停留所です」と解答していたことを覚えています。
オタクとは、当人が好んでいるものや興味を持っている分野に対して、一般よりも深く愛好する人を指す言葉です。それゆえにその興味のある分野ではなんらかの面において誰にも負けないものが生じます。先の例ですと、現役の運転手が1つしか答えられなかった最長停留所名を複数解答できる知識、が誰にも負けないものにあたるでしょうか。
他にも、痛バックというものがありましたね。推しの缶バッジやキーホールダーなどを大量に着けているバックを指すものと認識しています。「この推しのことがこんなに好きで、こんなに缶バッジ持ってるんよ!」と言ったように愛を示すと聞きました。この場合だと、推しのグッズの購入量、が誰にも負けないものにあたるでしょう。
さて、このオタクという言葉、当人が好んでいる分野以外への関心が低いことからネガティブなイメージで使われる言葉でした。
興味のない分野への関心が低いため、例えば「友人が髪を切っても気付かない」だとか、「そもそも話が合う人間、友人となる存在がいない」だとか、周囲を疎かにしがちだからです。推測ですが「コミケの前には風呂に入れ」も美容やら体臭やらに関心がないから風呂に入らない連中もいるのでしょうし。
さて、最近ではオタクという単語が比較的軽くなりました。これは本題とは関係ありませんが、最近の若者(どのくらいの年代の事を指しているのかは分かりませんでした)には個性を求めてオタクを名乗る者もいるというニュースを読んだことがあります。このようにネガティブなイメージが薄れつつあるようです。
該当のブログではゲームオタクとアニメオタクを例にとっていたような気がします。
昔は夜更かしや徹夜をしてまで見ていたアニメオタク、新作が出ると必ずプレイして本棚をゲームで埋め尽くしていたゲームオタク、その活動が続いてるのか?と言った内容であるように私に伝わりました。
新作のアニメも追えずかつて持っていたホームページで行っていた考察もできなくなった元アニメオタク。
VTuberのゲーム配信を見るだけで、自分ではゲームをプレイすらしなくなった元ゲームオタク。
毎日Apexをちょこっとだけやってる元ゲームオタク。
まあたしかに、学生であれば徹夜しようとも翌日の授業中に寝てしまえば睡眠時間が取れます。しかし成長し、社会人となってしまってはそうはいかないでしょうけれどもね。
どこで読んだか思い出すことはできずとも、とても身に刺さるブログ記事でした。
私自身はVTuber見ていません。といっても、ただ1人が話している配信者というものが嫌いなだけで、代わりにボイスロイド実況見ています。どこかの誰かが考えた、作られた掛け合いが好きだからです。(「そのくせ作ってる動画は1役のボイスロイドが延々喋っているだけの動画なんですか?」という指摘は聞かないものとします。)
まぁ結局のところ、あのブログ記事に書かれている元ゲームオタクと変わりません。
Apexをやってなかったりしますが、別にこれもおんなじです。毎日おんなじゲームやってて。積みゲーを消化できずにいて。
もっとも、同じゲームを毎日やることが悪いことではないでしょう。私がそのゲームのオタクで。そのゲームに何か、誰にも負けないものがあるならば。いいことでしょう、あるならば。
別にないからやめるべきだと思っていませんけどね。
でも、なんですか?そのウィッシュリスト300件の山は。
なんですか?買ったくせに一度も起動しないゲームの吹き溜まりは。(バンドルで買っておまけでついてきたものを除いても存在するので言い訳なんて出来ませんよ。)
該当のブログにあったかすら覚えていませんが、「生産性のないオタクはオタクじゃない」という言葉をどこかで見聞きしました。そのオタクを抜きにして、世界がまわってしまったらオタクなんていないも同然になってしまいますからね。
消費というものは対価さえ払えば猿だってできると言えます。もちろんゲームを作った人たちは「このゲームで遊んで楽しかった!」と思ってもらえることを望んで作っていると思います。しかし、鍋敷にしようと烏避けにしようとHDDの傷にしようとも、いずれも「売り上げ個数+1」なのです。
私自身がゲームのオタクなのでその視点で考えると比較的生産というのはしづらいものですが。ゲームというのはプレイ体験の他にもストーリー、イラスト、BGMあとなんでしょうね。少し今は思いつきませんが複合芸術作品みたいなものですから。
でも、考察だって精算の一部でしょう。2次創作で漫画やイラスト、SSを書くことはもうそのまま創作でしょう。とはいえ別にそんな大きなものを作る必要なんてないでしょう。
友人が新たなゲームに触れる場を作ることだってある種「オタクを抜きにして世界が回っている」から外れることができるでしょう。
それから、オタクの活動というのはリソースの食い合いです。時間、金銭、体力。これら全てが無尽蔵にある人なんて存在しません。
船井さん、どの活動にどれほどリソースを割くかしっかり考えて使ってください。生活というのはTikTokじゃないんです。何も考えずに時間を使わないでください。
このブログ記事、単なる決意表明みたいなものですよ。
積みゲーの山から逃げるな。
Amesiorineを作れ。
動画投稿から逃げるな。
それだけです。